「47 RONIN」の放つクソ映画臭がすごくて、逆に観てみたい。
ベースは赤穂浪士らしい。
某サイトのあらすじ紹介によると・・・
大石(真田広之)率いるサムライたちは、吉良(浅野忠信)とミステリアスな女ミヅキ(菊地凛子)のたくらみによって主君を殺され、自然が豊かな赤穂の領地を追われてしまう。さらなる謀略を企てる吉良の野望を阻止し、主君の敵を討つべく集まった47人の浪士たちは、はぐれ者の混血青年カイ(キアヌ・リーヴス)と手を組むことに。わずかな人数の彼らは、明らかに戦力差のある敵の軍勢の戦いに命を賭して身を投じる。
「はぐれ者の混血青年カイ (キアヌ・リーヴス) 」というあたりのトンデモ臭がこちらの好奇心を刺激する。
そして次の記述
「明らかに戦力差のある敵の軍勢」・・・・
明らかな戦力差!
こいつを目にしたキアヌ・リーヴスが片言の日本語で「アッ、コレ ヤバイヤツヤッ」と言うシーンが脳内で再生された。
「風立ちぬ」の動員記録を越すだろうな・・という確かな予感がある。
ドコモのCMのファッションは思いきり良すぎてひく。
初デートで張り切った少年(?)が思い切ったファッションで待ち合わせ場所に現れるドコモのCM。
CM中のセリフで「おもいきったね~」と言われているのだが、正直あんな服装でこられたら(しかも、そこそこ田舎っぽいのに)ひいてしまいそうだ。
私が彼女の立場だったら、「ありえね~」「一緒に歩きたくねぇ~」「頼むから、そのジャケット捨ててくれ」と心の中で念じ続ける可能性大。
機嫌が悪い場合「頼むから死んでくれ」「冗談は顔だけにしてくれ」ぐらいお茶目なことを言うかもしれない。
結局、たかがCMでここまで感情を揺さぶられる時点で、向こうの思うつぼなんだろう。
「テラスハウス」を見るとイライラしてしまう、己の器の小ささがイヤ。
ナウでトレンディーなヤングが、しゃれおつな物件で共同生活する様子をドキュメンタリー(タッチ)で追うこの番組。
正直に言えば、まともに見たことはなく、ちらっと見てすぐ離脱してしまうわけだが、そのちらっと見ただけでもムズムズしてしまい、つい舌打ちしてしまいそうになるほど。
ジャンルは「リアリティーバラエティー」であるらしく、決して「リアル」ではないとのことなので、「やらせ」うんぬんとか「カメラの配置がおかしい」とかの批判に対しての予防線なのだろう。
それでも、むんむんと漂う胡散臭さがなんともいえない気分にさせてくれる。
結局、イライラの原因はこちら側の「ひがみ」なんだろうと思う。
「リア充憎し」。その一点につきる。
どうせならスピンオフ企画で、ちょっと前まで塀の向こう側にいたようなヤンチャな人たちを集めて、「プリズンハウス」とかやってほしい。
毎朝リビングのテーブルに謎の白い粉が散らかっていて、その都度「これは小麦粉です」のテロップが表示されると、こちらのテンションも高まるに違いない。
クリステン・スチュワートに死ぬほど冷たくされて、存在そのものを否定されてもいい。
「アドベンチャーランドへようこそ」を観た。
10代のころに観ていれば、もっと感じるところもあっただろうが、なにせ30代なので、青春映画はそろそろ辛い。
ヒロインのクリステン・スチュワートは目つきがきついが、そのきつさがこちらの「Мっ気」を刺激するいい女優だ。
彼女からの命令で焼きそばパンをパシリに行かされ、買ってきたものを目の前で踏みつけられて「これ、食っていいよ」と言われたら、ありがとうございますと言って食べかねない。
私はついこないだ、35歳になった。
映画「チャイナタウン」を観て思い出すのは、ディカブリオのことだけ。
映画「チャイナタウン」を観た。
なんということはない、典型的な探偵もの。
女から依頼を受けて、あちこち話を聞いてまわり、悪い奴にボコられて、依頼人といい感じになるも、その依頼人が大事なことを隠していて・・・
というありがちな展開。
結局、思うのは、若いころのジャック・ニコルソンはディカプリオ的な顔をしていて(正確に言えば、ディカプリオがニコルソン的な顔になってしまって)、もう顔真似をするまでもなく、二人は親子なんじゃないか?ということ。
ディパーテッドで既に共演していたと思うが、もう一回この二人の共演を観てみたい気がする。
ディカプリオがタイムスリップして、未来の自分に会いにいったら、年老いた自分がすっかり「ニコルソン」になり果ててしまっていて絶望する青春ムービーとか。いいと思う。
絶対に観てはいけないと言われていたのに、観てしまった映画「フォーガットン」
何年か前に、「あの映画だけは観るな!(特大のクソだぞ)」と同僚に忠告されていたにも関わらず、逆に気になって観てしまった映画「フォーガットン」。
簡単にあらすじをネタばれ込みで言うと、
事故で息子を亡くしてしまった母親は毎日悲しみにくれていたが、ある日を境に「お前にはそもそも息子なんていなかったじゃないか」と周囲の人間が口を揃えて言うようになり、「息子は間違いなく存在していた(私はキ●ガイじゃない)」と、証拠を求めて奔走するが、最後の最後にわかったのは「すべて宇宙人の仕業だった」ということ・・・・。
というかなり豪快な映画。
私の推測だが、脚本家が最初にアイデアを思いついた時はノリノリだったが、書いている途中で「やっぱ無理」と投げ出してしまって、それを見かねたカーチャンが「しょうがないわね。おかーちゃんは昔、作文コンクールで銀賞とったこともあるのよ」と、脚本の続きを書いて、そのまま映画会社に送ったのだと思う。
それだったら、納得がいく。
キルスティン・ダンストはかわいいだろ。いい加減にしろ。
先日、「マリーアントワネット」を観て、今日は「幸せの行方」という映画を観た。どちらもキルスティン・ダンストが出ている。
昔、バイトの同僚が「不細工すぎて腹がたつ」と言っていたが、私はそうは思わない。
東にキルスティンのことを「不細工」という者が在れば、平手打ちを見舞いに行き、西に「不細工すぎて腹がたつ」というものが在れば、往復ビンタを浴びせにいく活動を、草の根レベルで続けていきたい。